今月のぼやき特別編  大阪・京都・松阪・名古屋珍道中

大阪・京都・松阪・名古屋珍道中




Contents
2006年8月16日(水) 横浜→大阪
2006年8月17日(木) 大阪→京都
2006年8月18日(金) 京都→松阪→名古屋
2006年8月19日(土) 名古屋→横浜






2006年8月16日(水)

かねてより計画されていた(半ば “無謀” とも思える)大阪・京都・松阪・名古屋珍道中がスタート!

14日から打ち合わせを兼ねて我が家に滞在していた「同行者」とともに、日付の変わるちょっと前に家を出て、東神奈川の駅前で飲み物やお菓子などを買い込み、横浜へ向かった。一旦改札を出て、日付の変わるのを待った。今回は、青春18きっぷを利用しての旅行となるため、16日の日付入り改札印を押してもらうためである。

ムーンライトながら号0:11に横浜駅を発つムーンライトながら号に乗り込んだ私と「同行者」は、“睡眠をとろうとすると車体が大きく揺れる” というハプニングの中、十分な睡眠をとれずにいた。我々の乗り込んだ列車は小田原までは全席指定のため、指定席券の取れなかった利用者は、ムーンライトながら号より数分前に出発する小田原行き東海道線で小田原まで先回りし、そこから乗り込むことになる。そのため、小田原から通路にも人があふれ、新聞や雑誌を通路に敷いて寝てしまう客も多数…。トイレに行くのは、浜松や豊橋など、長いこと停車する駅で、それもホーム経由でトイレの設置されている車両に移動するしかないような状態だった。客があふれたのは通路だけではなかった。我々の席は最後方車両の最後尾で、座席と壁の間に人が1〜2人ほど入れるスペースがある。そこに、半分酔ったようなオヤジが入り込み、我々の頭上で「ウ〜ップ」だの「あうぅぅぅぅ〜」だのと、臭い息をまき散らしながらほざいていた! 余計に寝られなくなる我々…。旅の前途多難ぶりを物語るかのようであった。このオヤジ、到着する駅ごとに降りる素振りを見せ、そのたびに我々を喜ばせてはガッカリさせてくれた。結局、浜松までこの調子が続いてしまった。

さらに、我々が乗った車両は名古屋で切り離しとなるため、そこから終点の大垣までの40分は立ちんぼうの可能性大。切り離し待機中に最前方の車両に移動し、荷物を網棚に載せた次の瞬間、我々の目の前に座っていた親子が慌てて電車を降りて行った。どうやら、名古屋で降りなければならなかったのに、寝坊していたらしい、間一髪で乗り過ごさずに降りることが出来たらしい。この親子の寝ぼけプレーの賜物で、我々は大垣までの座席も確保できた。棚から牡丹餅? 浜松までの苦悩とは比べものにならない心地よさ!

大垣到着後も、いわゆる「大垣ダッシュ」の賜物で、東海道線の座席も確保した。さらに、米原でも新快速の座席をゲット! 横浜から新大阪まで、車内ではずっと座り続けたことになる。トータルで8時間46分! 旅慣れている私は難なく(?)この9時間弱を過ごしたが、「同行者」の顔には確実に疲労の色が…。かなり腰がツラそうであった。現在腰痛で通院中の私は、なぜか涼しい顔…。

新大阪に着いてすぐ、駅構内のうどん屋さんに入り、“きざみうどん” を食す。以前から「関東風の(色の)濃いダシでないうどんはイヤだ!」と言い続けている「同行者」ではあったが、一口つゆを飲んで「あっ、ちゃんと味あるんだ!」と、当たり前のことに感動していた様子。あのなぁ…、どこに白湯でうどんを食べるヤツがおるか?! もっとも、「同行者」が食したのはうどんではなくソバであったが…。とにもかくにも、美味! いつも新大阪に来ると、私はいの一番に “きざみうどん” を食すことにしている。それも、駅構内の同じうどん屋さんで…。ここでうどんを食べると、「あぁ、大阪だなぁ…」という実感がジワジワと沸いてくるのである。

食後、地下鉄御堂筋線の乗り場へ移動。持参したICOCAスルッとKANSAIを使うかどうか悩んだが、大阪市交通局の「1日乗車券」を購入することにした。「同行者」は、私が大阪でどんな移動を企画しているかほとんど知らない状態であったが、私の頭の中には「1日乗車券」のモトなど簡単に取れてしまう公算があった。
それでも、「太陽の塔」をバックに…定休日かよ!?
御堂筋線(北大阪急行乗り入れ)で千里中央へ向かい、モノレールで万博記念公園へ! ここでハプニング! な、な、何と、毎週水曜日は記念公園の休園日…。一気に疲れがにじみ出た。それでも、「せっかく来たのだから…」ということで、出来るだけ「太陽の塔」に近づけるところまで移動した。その後、モノレールと地下鉄を乗り継ぎ、今日の宿泊先である東横イン大阪谷町四丁目に荷物を預けに行った。

大阪初心者の「同行者」は『名探偵コナン』の大ファンで、大阪情報もマンガ経由らしい。移動中、作中の大阪にまつわる台詞の詳細を私に確認する「同行者」…。

それで、今回の大阪滞在中に、『コナン』に出てくる場所も訪ね歩くことになった。

大阪城チェックイン手続きも終え、ホテルから徒歩で大阪城公園へ行き、天守閣に昇った。宿泊先は大阪での私の常宿で、大阪城の近くだということを知らないワケではないのだが、ホテルから歩いて大阪城に行くのは今回が初めてだった。歩いている途中、「同行者」が「大阪府警本部ってどこ?」と聞いてきた。「普通、大阪に旅行で来て、警察を訪ね回るヤツがおるか?」と言いつつも、シッカリ「ほら、アレだよ!」と大阪府警本部を指さす私…。大阪城公園の目と鼻の先に、府警本部はあるのだ! 天守閣から大阪市内を望んでいると、大阪に来た実感がより一層沸いてきた。天守閣内で、兜を1回300円でかぶらせてくれるコーナーを見つけた。「ほらっ、かぶりなよ! 写真撮ってあげるからさ…。『ぼやき』に載せるんでしょ?」と「同行者」。私の日常は「ぼやき」にあるんじゃないわい!。

大阪だと、キティちゃんも…大阪城をあとにして、森ノ宮から地下鉄で心斎橋へ出た。「同行者」が行ってみたいと言っていた道頓堀に、北側からアタック(?)するためである。しかし、暑さが尋常ではない…。その上、大阪特有の派手派手ディスプレーに驚く「同行者」…。

道頓堀と言えば、グリコ…道頓堀道頓堀と千日前の熱気を「同行者」に味わってもらった後、「昼は自由軒のカレーを食す!」と決めていた私に付き合わされて、スタスタと歩き続ける私の後ろでツラそうな「同行者」…。しかし、何としても自由軒の名物カレー(インディアン)を食さずに大阪を語れないのだ! 辛いものが苦手な「同行者」はハイシライス(ハヤシライス)をオーダー。これも名物カレーと同じように最初から混ぜてある。カレー以外のものを食したことのない私は、そのハイシライスにかなり興味を持った。そして…、未だかつて食したことのない味に感動する我々であった!

店を出ても、まだかなり暑い。とりあえず、よしもと笑店街の入口へ。中に入りたかったが、かなり混雑していた上、「一度入ったら、2時間は出られない」という魅力的な施設であるため、グッズだけ購入して、なんばパークスへ移動した。パークスをアチコチ見て回った後、喫茶室に入ってケーキとコーヒーで一服する。ちょっと生き返った心地にひたる。そして、再び意を決して(?)なんば駅方面に向かって歩く。ここから千日前線で鶴橋に出た。鶴橋といえば、駅前に広がる商店街市場、コリアタウンで有名である。商店街内や市場内にも在日コリアンの経営する商店が多数存在する。その異文化の融合をフォールドワークしようと思っていたのだが…水曜日は多くの店舗の定休日だった。開いている店もあるにはあったが、ごくわずか…。またもや、ハプニング状態!

悔しいので、コリアタウンに行ってフィールドワーク…と思い立ったのだが、疲労からなのか、方向感覚を逸してしまった私であった(往きの車中、私はほとんど睡眠をとっていない)。結局、JR大阪環状線の玉造駅まで歩いてしまった。この辺りで、「同行者」の腰と足の具合が最悪な状態に…。

それでも、環状線で大阪駅に出て、工事中で道がアチコチ閉鎖されている中をイライラしながら梅田に向かい、『コナン』に出てくる梅田のビッグなる場所(正式には、ビッグマン)に到着した。よく見るとそこは、数年前によく私が大阪の友人と待ち合わせに利用した場所であった。

「同行者」のリクエストで夕飯には串カツを食すことにしていたので、通天閣のふもとにあるジャンジャン横町へ向かったのだが、動物園駅前に到着したところで「同行者」の足腰は完全にダウン!? それで、なんばパークス内へタクシーで戻り、てもみんでフットマッサージを30分受けてもらうことにした。ただ待っているだけでは面白くないので、私も同じメニューを30分受けることにした。ポイントもたまるし…。

通天閣の夕暮れそして、日の暮れた通天閣に戻った我々は、ジャンジャン横町の「ぜにや」で串カツを食した。ジャンジャン横町には「てんぐ」だの「八重勝」だの、マスコミでやたら取り上げられている有名店があり、それらの店はいつも列が出来ているのだが、私は以前から「ぜにや」を利用している。気取らず、落ち着けて、ゆっくり食べられるのが良い! 「同行者」も満足げであった。ただ、もともとアルコールが飲めない「同行者」はともかくとして、体調の関係でビールが飲めなかった私にはちょっと心残り…。これであとはホテルに戻って…と思ったところ、「同行者」がとんでもないことを言い出した。

「まだ、道頓堀でお好み焼きを食べるんだよね?」

オイオイ…。結局、千房で2度目の夕飯と相成った。

夜中からずっと移動だらけで疲れ切った我々であったが、本日最後の最後に、地下鉄の乗り換えを間違えた。なんばから谷町四丁目までなら、御堂筋線で本町に出て、そこから中央線に乗り換えれば良いものを、なぜか天王寺行きの地下鉄が来るや乗り込んでしまい、天王寺駅構内をさんざ歩かされ、谷町線に乗り換えるハメになった。本町経由なら4駅で谷町四丁目なのに、天王寺を回ってしまったがために7駅+構内移動5分という有様。

やはり、ムーンライトながら号で思った “前途多難” そのもの。しかし、歩きすぎた感が…。とばっちりをうけた「同行者」というところか…。

「東横インには、コインランドリーがある」ということをスッカリ忘れていた私…。「同行者」が洗濯機と乾燥機の存在に気付き、「だったら洗濯しよう! 汚れ物をそのまま持って移動するより、洗濯しちゃったほうがいい!」ということで、夜中まで洗濯…。


2006年8月17日(木)

ホテルの無料朝食サービス(おにぎりと味噌汁、食べ放題!)で、朝から満腹状態になった我々。食後、ロビーにあるパソコンでメールチェックをする。そして朝10時、ホテルをチェックアウトした。

谷町四丁目駅から地下鉄で梅田に出て、阪急電車の駅へ。向かうは京都! 河原町行きの特急に乗り込んだが、終始爆睡の「同行者」であった。昨日の鉄人的スケジュールで、かなりお疲れのご様子。今日の宿泊先は五条にとってあるので、終点の1つ手前(烏丸)で下車し、京都市地下鉄で五条に出た次第。4〜5分歩いて東横イン京都五条烏丸に荷物を預けに行った。

チェックイン手続きも終え、京都市内へ繰り出すことにしたのだが、ここで移動方法で迷う。大阪とは違い、京都は縦横(もちろん斜めも)の移動が鉄道では困難なのである。よって、足として重要なのは路線バスとなる。それで、四条烏丸まで歩いた我々は、一旦地下鉄駅に行き、バスの1日乗車券を購入し、再び地上に出て、ホテルで教えてもらったバスに乗り込んだ…ハズだった。我々が最初に向かおうとしたのは百万遍である。が、どうやら我々は逆回りのバスに乗り込んでしまったらしい。結果的には百万遍に到着したが、エライ時間のロスである。その分、色々と珍しいものを見ることが出来たが…。百万遍には、緑寿庵清水という日本で唯一の金平糖専門店がある。京都に来ると、必ず立ち寄る店である。あまり広くない店内には、全国から噂を聞きつけたお客さんたちであふれていた。ここで私は、夏の新作を購入した。

下鴨神社下鴨神社の主祭神・八咫烏(やたがらす)緑寿庵清水をあとにして、次は「連理の賢木(さかき)が見たい!」という「同行者」のリクエストもあり、下鴨神社へと向かった。百万遍からバス1本で下鴨神社へは行けないので、まず河原町今出川に出て、ここで別のバスに乗り換えた。

バスを降り、しばし道に迷うが、大通りを1本裏に入ったところに参道入口があった。鳥居をくぐると、眩しいばかりの朱色が目に飛び込んできた。下鴨神社の主祭神である八咫烏(やたがらす)は、3本の足を持つことで知られている。そう、サッカー日本代表のユニフォームにデザインされているカラスである。そのカラスの看板(左の写真を参照)に、勝手な名前を付けて喜んでいた私…。あぁ、罰当たり! 糺ノ森で自然の涼をとった後、焼餅を食し、バスに再び乗り込んだ。

金閣寺でお茶を…金閣出町柳駅でバスを乗り換え、向かうは金閣寺! 「京都と言えば…?」という質問に、多くの人が「金閣寺」の姿を思い浮かべるに相違ない。そこで我々も、多分に漏れず金閣寺を回ることにした。この時点で昼食をとっていないことに気付いたが、後戻りは出来ない。おまけに(?)、雨もぱらついてきた。そこで、「とりあえず1周しよう」ということになり、金閣寺の敷地内をぐる〜っと回ってきた。が、疲れたので、抹茶をいただくことにした。日本人であることの喜びを感じた。あぁ、日本人…。

その後、私には京都でちょっとした「計画」があったため、渡月橋(嵐山)に行きたいという「同行者」のリクエストを叶えてあげることが出来なくなり、バスで四条烏丸に向かうことになった。ここで「同行者」はご家族や職場へのお土産を買い込んだ。それにしても、最近はいろんな味の「おたべ」があるんだなぁ…。買い物後、「ちょっと寄りたい店があるんだけれど…」と、疲れ切った「同行者」の了承を得て、たち吉本店に立ち寄った。実は、「同行者」の誕生日が近づいていたので、旅行中にお祝いしてあげようと思い、旅行開始前にたち吉本店に電話をし、プレゼントの梱包と熨斗をお願いしておいたのであった。祝われる本人も同行しているので、サッと品物を受け取り、サッと支払いを済ませ…と、そこまで画策しておいたのに、ちょっとした予想外の出来事が!? 電話で打ち合わせしたスタッフから「当日は、フロアにいる○○という者か△△という者に声をかけてください。わかるようにしておきますので…」と言われていたので、その○○さんを見つけた私は「横浜のYoshibeiです。電話で注文した品物の件で…」と「同行者」に聞こえないようにボソボソと声をかけたところ、「えっ? 何ですか? 横浜の…? どういうご用件ですか?」と、私の画策したことを完全に壊しにかかってきた。そこで、「同行者」に聞こえないようなボソボソ声で「あの…ですね、先日、電話で湯飲み茶碗を2つ、箱入れして、熨斗をかけておいてもらうようにお願いしたんですね。それで今日、受け取りに来ると連絡してあったのですが…」とあまり「同行者」に状況を悟られないように努力して核心を避けて話すと、「私ではわかりかねますので、少々お待ちください」とのこと。○○さんは奥に下がり、△△さん(と思われる方)

「横浜の人から、湯飲みを箱詰めして熨斗かけておくように…って注文、受けてる?」

と、店内にいる人すべてに聞こえそうな大声で話し始めた。△△さんの声が聞こえる…「そこにある箱が、その注文の湯飲みですよ!」と。その後、○○さんが私の注文した通りに梱包されている箱を持ってきて、大きな声で

気まずそうに私の側を離れた「同行者」の目に、売り場に置いてあったトンボ柄の赤と青の湯飲み茶碗が入っていた。企画がバレ、熨斗書きもバレ、ついでに値段もバレて、「何のために事前に電話したんだか…!?」という状況(情況)に陥った私であった。妙な画策はしないほうが良いらしい。ちょっと落胆気味の我々は、歩く気力も失っていた。タクシーを拾い、ホテルに戻った。

鴨川の夕暮れ(納涼床にて)汗でシャツがビショビショになっていたので、ホテルで着替え、フロントにタクシーを17:40に呼んでもらうよう依頼した。そして、タクシーで向かったのは先斗町であった。鴨川沿いの豆腐料理店・豆風の川床を予約しておいた私…。先斗町に来るのは10年ぶりくらいなので、一度道に迷った。が、約束の時間には何とか入店できた。夕暮れの涼しい風と、黄昏の移り行く風景、おいしい豆腐料理で、すっかり満足! さっきの忌まわしい出来事も、きれいに(?)吹っ飛んだ気がした。

その後、ちょっと祇園を回り、それからバスと地下鉄を乗り継いでホテルに戻った。「まだちょっと小腹が…」という「同行者」。ホテルの近くでラーメンでも食べようと提案してきたのだが、この時点で私の群発性頭痛再発の予感が…。今度は私がダウン気味。それで、コンビニで何か買って食べようということになった。「ダウン気味」と言いつつも、しっかり素麺を平らげた私…。

そして、今夜もコインランドリーで洗濯…。その最中、洗濯機の横にある自動販売機と格闘しているオジサンを見つけた。どうやら、千円札がうまく入らないらしい。それで私がオジサンから千円札を借り、「こうすれば入りますよ!」と入れてみせると、「何で私がやっても入らないのに、あなただと入るのですか?」と質問される。が、「それは、あなたが酔っているからです!」とは言えず…。

結局、夜中まで洗濯…。


2006年8月18日(金)

今朝は「同行者」も私も起きることができず(おそらく、鉄人的スケジュール&夜中の洗濯のため)、せっかくの無料朝食サービスを受けられず。さらに、予約してある特急にも間に合うかどうかの瀬戸際に立たされ(要するに、寝坊!)、慌ててホテルをチェックアウトした。

地下鉄で五条から京都へ移動し、重い荷物を担ぎながら走って近鉄電車の乗り場へ。「同行者」はまだ足腰に痛みがあるようなので、私が走って窓口に出向き、あらかじめインターネットで予約しておいた10:15発の伊勢志摩ライナーの特急券を受け取った。この時点で、10:12…極めて危ない状態にあったことがわかる。

近鉄特急・伊勢志摩ライナーの勇姿!私は鉄道マニアではないものの、滅多にお目にかかれない「伊勢志摩ライナー」に乗れるとあって、旅行開始前からワクワクしていた。しかし、京都駅ではその勇姿を拝む暇もなく、電車に乗り込まなくてはならなかった。乗り換え無しの1時間40分ほどで、伊勢志摩ライナーは松阪に到着。電車を降り、伊勢志摩ライナーの勇姿に感動している私の横で、「同行者」がボソッと一言…

アヒルだねぇ…

感動が吹っ飛んだ。まぁ、アヒルに似てないこともないが…伊勢志摩ライナーのフォルム。でもなぁ…アヒルはないだろう? クヮッ、クヮッ!

松阪は、「同行者」のリクエストであった。「松阪牛が食べたい!」ということで、大阪・京都と来て、松阪を経由する移動となった次第。しかし、今日の三重県は台風の余波で局地的に大雨が降っていたと、あとでニュースが伝えているのをみた。その局地に我々はいたのである!

近鉄の駅係員やタクシーの運転手に「安くて美味しいお肉屋さんはありますか?」と聞くが、教えられた店に行くともれなく “5ケタ” の料金表示が!? 「どこが安いんじゃあ!?」と思いつつ、駅でもらった地図を頼りに町を歩いていると、親切なおばあさんが有力な情報を教えてくださった。その情報を頼りに洋食屋牛銀に向かった。店前のパラソルの下に腰掛け、順番が呼ばれるのを待っている最中、何度か強い雨が降ってきた。ズボンはびしょ濡れ。空腹で、おまけに雨まで…。なのに店から出てきた人たちの満足げな顔と「暑いなぁ…」というため息が、腹立たしく思えた私…。「こっちは、アンタらが涼しい顔して食事している間に、何度も雨に耐えてきたんだよ!」と、心の中で叫んだのであった。

30分程度で我々の名前が呼ばれ、店内に入る。かなりリーズナブルであった。それで、ハンバーグ定食とを牛丼それぞれ1人前ずつ注文! まず、ハンバーグ。ほとんど牛肉! 食べた瞬間に、旨みが口の中に広がる。そして、牛丼。普通の牛丼ではない! ジューシーな大きな牛肉を卵でとじてあるのだが、これが絶品! 松阪牛を堪能し、本居宣長の旧宅跡を眺めながら、急いで駅に引き返した。

日本一(世界一?)短い駅名快速みえ号松阪からは、JRの快速みえ号で名古屋に出た。この、2両編成の電車は1両目の半分が指定席となっており、あらかじめ指定席を押さえておいたので、ゆったりと座り、“田園風景” を眺めながら、名古屋を目指すことができた。途中、伊勢鉄道を経由するのだが、以前私は河芸までトワ・エワのコンサートを観に行ったことがあり(この時も、青春18きっぷ使用!)、移りゆく風景を懐かしく思った。途中、日本一駅名の短い津駅を通った時、寝ぼけていた私は、「えっ? クエスチョンマーク駅?」と思ってしまった。「つ」の下に「津」と書かれているのが、寝ぼけ眼には「?」と見えるのである。まぁ、どうでも良いことだが…。

名古屋は、私が幼い頃に2年間を過ごした街である。鼻が利けば、道に迷うことは無いのだが、最近は開発が進んでいて、たまに方向感覚がずれる。だが、今日のところは面目を保てたようである。今日の宿泊先も、東横イン名古屋駅新幹線口。チェックイン後、部屋に荷物を置き、コインランドリーで洗濯している間に高島屋へ行き、赤福を食べてきた。高島屋の銘菓売り場を見たところ、京都で買ったものがもれなく揃っていた…。脱力…。しかし、京都で食べ忘れた竹筒羊羹と豆寒天を見つけて大喜び!

再びホテルに戻り、洗濯物を部屋に戻し、夕飯に出かけた。エスカには有名店が出店していて、食事時はどこも長蛇の列…。狙いを付けていた店は、店の内外とも賑わっていた。そこで、「こういうときは、迷わず松坂屋!」という私の法則に従い、エスカを諦めて松坂屋に向かった。法則は、今日も正解を導いたようである。名古屋名物の味噌カツを食したが、入店時に「あと30分で閉店ですが、それでも良いですか?」と聞かれる有様。ギリギリセーフであった。

この旅は、明日でフィナーレを迎えることになる。今のところ、私も「同行者」も満身創痍状態である。私の場合、群発性頭痛も付きまとっているし…。


2006年8月19日(土)

今回の旅は、最後の最後まで寝坊…。今朝も無料朝食サービスを諦める羽目になった。

10時にチェックアウトし、名古屋駅のコインロッカーに荷物を預け、先ず向かうは鶴舞! 中央本線で名古屋から2駅、鶴舞公園が有名であるが、公園には用がない! 私と「同行者」が向かったのは、ラディッシュという喫茶店である。

カフェレスト ラディッシュの正面これが、カフェレスト ラディッシュの小倉トースト!カフェレスト ラディッシュの店内ラディッシュは、「水曜どうでしょう」の藤村Dの実家である。番組内の「対決列島」企画の際、名古屋対決がラディッシュで繰り広げられた。その後、ラディッシュは “どうでしょう藩士” たちの聖地の1つとなったのは言うまでもない。よって我々も、藩士として訪ねないワケにはいかないのである。店内には、どうでしょうグッズやHTB(北海道テレビ)グッズが飾られていた。我々が入店した際は、親子連れグループがグッズの前を陣取っていたが、程なくして店を出た。店員さんが「よろしければ、こちらに…」と、グッズ前に移動するよう勧めてくださった。我々が藩士であることがバレバレだったらしく、ちょっと恥ずかしくもあったが、「さっきの方々も同じ(藩士)ですから…」とのこと。遠慮せずに移動させていただいた。そして、小倉トーストにパクついた。今日我々が入店したのが10時半過ぎ。それまでに、少なくとも4組の藩士が来ていたようである。メディアの威力を改めて思い知る。

“聖地巡礼” を終え、名古屋市営地下鉄に乗り、丸の内から名古屋城を目指したが、なかなか城が見えない…。途中で人に道を聞くが、「名古屋城? そこ!」と、目の前の茂みを指さすだけ。「それで、そこの信号を左に曲がると、もうすぐだから!」と教えられるが、どこにも城らしきものは見当たらない。なぜ、見つからないのだろう? そう、名古屋市民の指示代名詞が、我々の感覚と一致しないのである。難航する城探しの最中、私の群発性頭痛が再発! 名古屋城の入口が見つかった時には、痛みがシャレにならない状況だったため、天守閣を見ずにバスで名古屋駅に戻った。

駅前の松坂屋には、リラクソートと称された癒し専門店街(?)がある。私だけでなく、「同行者」の足腰も、そうとう悲鳴を上げていた。そこで我々は、RAJAのQueenswayで10分間のプチプチリフレを受けた。これで結構体調が回復してきたが、さらに近くにWing Oxy Barがあったので、10分の酸素吸引を受ける。痛みが緩和されたことを実感した我々…。復活と同時に空腹感が戻って来たので、エスカにある矢場とんで味噌かつ丼を食した。美味なり! 矢場とんには「鉄板とんかつ」という代物がある。熱々の鉄板の上にキャベツとトンカツを載せ、その上から味噌をかける…というもの。味噌が鉄板に出会った瞬間、ジュ〜ッと立ち上る煙…。我々が入店した時に、1人の男性(大学生風)の元に鉄板とんかつが運ばれて、本人および周りから「うゎ〜っ!」という声が上がっていた。我々のあとから入店してきたカップルが我々の横のテーブルに座り、二人ともその鉄板とんかつを注文したらしく、背後からジュ〜ッという音がユニゾンして聞こえるのがわかった。そして、テーブルに供されて、煙のカーテンが…!? 女性が一言、「周りの人に、めっちゃ迷惑かかってるし…」。いえいえ、楽しませてもらえて大満足! それにしても、うごく美味そうだったなぁ…鉄板とんかつ! 矢場トンは銀座にも出店したので、今度行ってみようと思う次第。

さて、そろそろ横浜に向けて名古屋を発たなくてはならない。今日はシッカリ青春18きっぷを使用したいので、東海道線を乗り継ぐことになる。何時に横浜到着するか? 何回の乗り換えに耐えられるのか?…ということを考えると、どうしても静岡を19:33に発つ東京行きに乗りたいところ。この電車、静岡から帰浜する際に、しばしば利用しているのだが、乗り換え無しで横浜まで帰れるのと、特急東海号やムーンライトながら号と同じ車両を使用しているところが嬉しい。よって、名古屋を16:42に出る新快速に乗り込む必要がある。が、まだ食べ残したものが…。「きしめん」である! ただ、私はいつも名古屋を離れる際に、東海道線のホームにある立ち食いそば屋できしめんを食すことにしているので、今回もその傾向性に従って…。東海道線のホームに入ったのが16時半前。「では、きしめんをたべてかえろう!」と「同行者」に声をかけると、「電車が来るまで、10分ちょっとしかないよ! それまでに食べられる?」と聞いてきた。オイオイ…客に供するのに10分近くもかかる立ち食いそば屋なんて、あるワケないだろ!? 問題なく、我々はきしめんを食したのであった。

東海道線新快速は豊橋止まりだったので、そこで向かいに停車中の浜松行きに乗り換え、さらに浜松から静岡行きに乗り換え…と、静岡まではちょっと乗り換えがキツかったが、静岡からは…。で、22:14に横浜到着。

タクシーで一旦家に帰り、荷物を置いた後に再びタクシーに乗り込み、東白楽まで出た。「同行者」が「名古屋で手羽先、食べたかったなぁ…」という想いを残してしまったため、「せめて鶏料理を…」ということで、記憶に残っていた鶏料理店に向かった次第である。

最後のエピソードを…。「同行者」は訪ねた土地土地でお土産を購入していたが、名古屋で購入した「みそまん」は大失敗だったようである。製造元が浜松市(「同行者」は静岡県民!)である上、静岡駅の売店にも同じものが…。どうやら「浜名湖名産」で、おまけに「うなぎパイ」で有名な春華堂の商品だった…というオチまで付けてくれた!

正真正銘の珍道中が、これにて終了した。やれやれ…、こんなに長い文章、どなたが読んでくださるのやら…。


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