執筆コンセプト

(1)今の大学の講義の体質を改善したい。

4月の大学は、ものすごく活気に満ちています。しかし、ゴールデン・ウイークを過ぎた頃から徐々にキャンパスの学生数は減少し、再び活気を取り戻すのは試験前。平気で講義に遅刻したり、早退したり、あるいは代筆行為なども存在します。お気に入りのアーティストのコンサートでは会場前に何時間も前から並び、アンコールまで求める若者たちが、同じ人物であるとは…?

このような現実の根源を考えた時、今の大学で「学生の興味」に応じた講義があまりにも少ないことを、我々教員が反省するべきではないかと思えてきました。教員が難解な学術用語ばかりを並び立てると、やがて学生たちは「ヤル気」と興味を失い(中には、大学に入学した時点でそれらを失っている世間をなめた学生もいますが)、「大学で習ったことなんて、社会に出たら通用しない」という学生たちのセリフを聞くにつれ、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。

私の講義は、学生の理解できる言葉で、学生の興味を取り入れつつ進行していくのですが、自分が学生時代にどのような講義を求めたか、理解できたのか、そういった思い出をもとに、自分が味わった苦痛を目の前にいる学生には味あわせたくないのです。

(2)「悩み」の原因が自分にあることを理解してほしい。

社会学とは書いて字の如く、社会の学問です。実際に起きている(あるいは、これから起こり得る)社会問題を研究する学問ですから、「大学で習ったことなんて、社会に出たら通用しない」というセリフが出ることなどあってはならないのです。もし、そんなセリフが出るような講義であったら、それは社会学ではないと思うのです。そこで、社会生活で避けることのできない人間関係の問題―とりわけ「悩み」という身近な問題にスポットを当ててみたのです。

詳しくは、「内容の要約」を読んでください。

(3)既存の「社会学」のテキストへの“ささやかな” 批判をしたい。

上記の(1)(2)をまとめたような形になりますが、大学生という存在はまだ学問の素人であり、プロである学者が「分かりやすく書いた」と思うことと学生の価値観が違っていることは良くある話です。あなたが学生ならばわかると思いますが、講義で使われる本が「テキスト」として指定されていなくても、その本を買って読もうと思いましたか?

もし、テキストに書かれていることが「日常的な」事例で「理解しやすい」ものであれば、学生に限らず一般の人々も興味を持って、自分の生活向上のためにその本を購入するでしょうね。とにかく人々の知識欲をあおり、満たすような本の出現を私も待ち望んでいたのですが、待っているだけではどうしようもないと考えた私は、自分にそれだけの能力があるかどうかは別問題として、具体的に動いてみたのです。

1999年8月 執筆者:服部慶亘


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